2009年03月30日

尾花沢の歴史2

鈴木清風一族は紅花をはじめ陸奥・出羽の産物を手広く京阪、江戸へ送り売りさばいた大商人であると共に、いずれもすぐれた俳人で商用のため京阪、江戸を往復する間にかの地の文化を尾花沢に移し植えたと云われている。旧七月二十七日の秋祭りは、鈴木一族によって京都祇園祭を模し移されたもの云われ山車の豪壮華麗さは目を奪うものがあり、山車飾る「紙の紅染造花」にすぐれた技術を伝え、今尚伝承している花笠踊りの笠には江戸中期より伝承した真赤な「紅染紙花」がつけられ千余人の男女が笠を廻し踊りながら供奉しまさに「そろたそろたよ踊子がそろた秋の出穂よりまだそろた」と続いて「花の山形紅葉の天童、雪を眺むる尾花沢」と来る。この花笠踊りは大正八年に灌漑用水湖として生まれた人造湖(徳良湖)の築堤の際の「土搗き唄」によると云われ現在は東北四大まつりの一つ山形花笠まつりに発展している。





Posted by ぴぴ at 18:19│Comments(0)
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